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山本デンドロビューム園について
品種改良の歴史と代表的な品種
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生産と販売体制
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山本 二郎 年譜

西暦
(元号)
年齢 年譜 社会の出来事
1928 年
(昭和 3年)
誕生 岡山市浜野に8人兄弟(姉6人、兄1人)の末っ子として生まれる 昭和天皇、即位
       
1941 年
(昭和16年)
13歳 旧制中学商業科入学、銀行員を志す。 太平洋戦争勃発
       
1945 年
(昭和20年)
17歳 戦況の悪化により、幹部候補生として志願、海軍入隊。終戦。復員後、兄の沖縄戦戦死により、家業の農業(米麦)に従事。 日本無条件降伏により終戦
1951 年
(昭和26年)
23歳 戦後の復興の様子や日本人の生活形態の変化などを観察しつつ、将来性のある農業に思いを巡らせる。熟慮を重ね、紆余曲折を経て、洋らん「デンドロビューム」に巡り会う。 サンフランシスコ条約調印。ラジオ民間放送始まる。
1952 年
(昭和27年)
24歳 農業を続ける傍ら、父親をはじめ周囲の大反対の中でデンドロビュームの栽培に本格的に着手することを決意。「山本デンドロビューム園」の誕生である。 サンフランシスコ講和条約が発効、GHQの支配が終わる
1953年
(昭和28年)
25歳 浅沼勉氏の三女、聡子と結婚。 吉田首相への内閣不信任案可決で解散総選挙
1955 年
(昭和30年)
27歳 長男、博文誕生。 ワルシャワ条約調印
1956年
(昭和31年)
28歳 デンドロビュームの品種改良のための交配育種に本格的に取り組む。 日ソ国交回復に関する共同宣言調印
国連総会で日本の加盟を全会一致で可決
1958 年
(昭和33年)
30歳 長女、由美子誕生。 米が人工衛星エクスプローラー1号打ち上げ成功

1962 年
(昭和37年)

34歳 、「岡山県デンドロ
ビューム生産組合」を結成、初代組合長として生産者を育成するとともに、デンドロビュームの市場への普及・認知活動にも努める。
キューバ危機
1964 年
(昭和39年)
36歳 東京で開催された全日本洋蘭協会、日本蘭業組合主催の洋らん展において、ゴールデンウェーブNo.1が最高賞である農林大臣賞を受賞。 東海道新幹線開通(515km)。東京-新大阪4時間で結ぶ
1966 年
(昭和41年)
38歳 この年2月に香港で開催された国際花見本市では展示した切花すべてが完売となり海外進出の弾みになった。 中国で文化大革命が始まる。
1968 年
(昭和43年)
40歳 アメリカ、ヨーロッパやオーストラリア、メキシコ、アルゼンチン、ブラジルから引き合いがあり、デンドロビュームを大量に輸出。 川端康成がノーベル文学賞受賞
1969 年
(昭和44年)
41歳 当時、世界最高権威を誇る英国王立園芸協会 (R.H.S.) の品評会において、全世界からの約5000点の出品物から選出された、5点の入賞花のうちの2点に入賞。日本人初の快挙であった。 アポロ11号月面着陸
1973 年
(昭和48年)
45歳 ラジル、アルゼンチンへの講演旅行の途中に立ち寄ったハワイで、ランの立派な生育状況を目の当たりにし、ハワイ農場開設を決意。 第一次オイルショック
1974 年
(昭和49年)
46歳 米国ハワイ州に「YAMAMOTO DENDROBIUMS HAWAII INC.,」
設立。
全国農業コンクールで農林大臣賞受賞
日本農林漁業祭において、天皇杯を受賞。皇居にて、昭和天皇に拝謁の栄を賜る
ニクソン大統領がウォーターゲート事件で辞任
佐藤前首相がノーベル平和賞を受賞
1978 年
(昭和53年)
50歳 タイ、バンコクで開催された第9回世界らん会議の大展示会にて、ユートピア‘メッセンジャー’が最高賞のFCC/WOC (ゴールドメダル)を受賞。 北京で日中平和友好条約調印
1979 年
(昭和 54 年)
51歳 欧米諸国をはじめ、世界各国への市場進出をさらに拡大する。 第二次オイルショック
1980 年
(昭和 55 年)
52歳 民生委員、児童委員に就任、副総務として従事。 イラン・イラク戦争
1982 年
(昭和57年)
54歳 欧米向けのメリクロン苗生産の拠点としてタイ国チェンマイに第2の海外農場「YAMAMOTO DENDROBIUMS THAILAND」を設立。 フォークランド紛争
東北新幹線開通
1983 年
(昭和58年)
55歳 山陽新聞社賞受賞。 東京地裁、ロッキード事件で田中元首相に有罪判決
1985 年
(昭和60年)
57歳 三木記念賞受賞。 レーガン・ゴルバチョフの米ソ首脳会談
1987 年
(昭和62年)
59歳 第 12 回世界らん会議の大展示会において、「リザーブ・チャンピオン」およびゴールドメダル受賞。 国鉄分割、JRグループ発足
ソ連でペレストロイカ始まる
1990 年
(平成2年)
62歳 名古屋国際蘭展において、最高賞の「オーキッド・オブ・ザ・イヤー」を 受賞。 東西ドイツ統一
1991 年
(平成3年)
63歳 「コンベックス岡山」のオープニング記念事業として計画された蘭展、「蘭おかやま」実行副委員長としてその職責を果たす。以後10年間に渡って主催者展示の飾り付けを行い、大会を成功に導く。
「黄綬褒章」を拝受。皇居にて天皇陛下に拝謁の栄を賜る。
日本洋蘭農業共同組合、山陽支部長に就任。(1999 年 退任)
湾岸戦争勃発
ソ連崩壊
1992 年
(平成4年)
64歳 園芸文化賞を受賞。 リオデジャネイロで地球環境サミット
1993 年
(平成5年)
65歳

岡山市長沼に「西大寺分場」開設。

EU発足
1996 年
(平成8年)
68歳 大阪国際蘭フェスティバルにおいて、ディスプレー部門で最優秀賞受賞。
ペルー日本大使公邸をゲリラが襲撃(翌年4月武力解決)
1998 年
(平成10年)
70歳 岡山市政津に「政津分場」開設。 欧州単一通貨(ユーロ)参加11か国決定
2000 年
(平成12年)
72歳 地元の小学校で、情操教育の一環として、小学生にデンドロビュームの苗を提供、栽培を指導し好成績を上げる。その後も継続事業としている。 コンピューター2000年問題
南北朝鮮首脳初会談
2001 年
(平成13年)
73歳 「勲五等双光旭日章」を拝受。皇居にて天皇陛下に拝謁の栄を賜る。 米国で同時多発テロ事件
2007 年
(平成19年)
79歳 『世界らん展日本大賞」ディスプレイ部門にて優秀賞受賞。  
2009年
(平成21年)
81歳 現在までに交配した数は既に4000組を超え、英国王室園芸協会(RHS)のサンダーズリストには600品種を超えるJ.Yamamoto(山本二郎)の名が記されている。  
2022年
(令和4年)
94歳 11月16日 老衰のため逝去。(享年95歳)  
       

 

 

※山本デンドロビューム園の作出品種については「品種改良の歴史と代表的な品種」からご覧ください。
※デンドロビューム育種家山本二郎については「育種家 山本二郎のあゆみ」と「山本二郎 年譜」をご覧ください。
※RHS登録全品種については「山本デンドロビューム園の登録品種」 からご覧ください。