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山本デンドロビューム園について
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たった1株のデンドロビューム、小さな木造の温室でスタートしたデンドロビュームの育種研究は今や世界規模での生産へ

1952年に山本デンドロビューム園が、デンドロビューム専門に研究および育種・改良を始めてから50年以上が経過しました。園主 山本二郎がデンドロビュームの育種開発をスタートした当時は小さな木造の温室1棟のみでした。今やその生産拠点は、国内のみならずハワイ、タイへと規模を拡大。
現在までに行なわれた交配は4,000組に達し、国際登録された品種も600品種を超えました。おかげさまで、その改良された品種の優秀さは、世界の市場 にも認められ、「Yamamoto Type」「Yamamoto Dendrobium」という名称で、ひとつの独立したランのグループであるかのごとく呼ばれるまでに至りました。 そして 、メリクロン技術の開発により、海外においても数多くの生産者に栽培されるようになりました。欧米諸国で栽培されている品種の80パーセントが山本デンド ロビューム園で作出された新品種で占められています。

山本デンドロビューム園のあゆみ

※山本デンドロビューム園の作出品種については「品種改良の歴史と代表的な品種」からご覧ください。
※デンドロビューム育種家山本二郎については「育種家 山本二郎のあゆみ」と「山本二郎 年譜」をご覧ください。
※RHS登録全品種については「山本デンドロビューム園の登録品種」 からご覧ください。

1950年(昭和25年)
将来性のある農業を模索していた山本二郎は、外国雑誌の表紙に写った美しい洋らんに巡り会う。花屋の店頭で見つけた洋らんの1種デンドロビュームを初めて入手し、りんご箱の中で、大事に育てたのがデンドロビューム栽培の第一歩であった。

 

1952年(昭和27年)1月1日
当時、貴族の高価な趣味であったデンドロビュームを花き産業の対象と考えた山本二郎は周囲の反対を押して、本格的にデンドロビューム栽培に着手。小さな木造の温室からのスタートであった。「山本デンドロビューム園」の誕生である。

※右写真は当時の在来品種、花付き、バルブ(茎)の太さに時代を感じ

昔のデンドロ

1957年 (昭和32年)
デンドロビュームの品種改良のための交配育種に本格的に取り組む。勘に頼った育種ではなく科学的な裏づけを持った交配が必要と考え、染色体の調査に乗り出し、当時の在来品種の中よりバラデバ‘ソーマ’やパーモス‘グローリー’等の4倍体品種を発見。これをもとにしてさらに育種に努める。

※右写真は無菌培養中の実生幼苗の生育状況を確認する山本二郎

1962 年 (昭和37年)

育種と研究を重ね少しずつではあるが着実に成果を上げつつあるこの頃、「岡山県デンドロビューム生産組合」を結成し、初代組合長としてデンドロビュームの生産者の育成、市場への普及・認知活動にも努める。

※右写真は岡山県洋らん協会設立時のメンバー。中央にお掛けになっているのは池田隆政ご夫妻


デンドロビューム生産組合

1964 年 (昭和39年)
東京で開催された全日本洋蘭協会、日本蘭業組合主催の洋らん展において、ゴールデンウェーブNo.1が最高賞である農林大臣賞を受賞。

「より美しい花を、より安く」をモットーに研究と努力を重ね、この頃までに既に20万株を超える実生苗を咲かせ、各地で驚くほどの高確率で優秀花を続出。花き業界や愛好家のデンドロビュームに対する概念を大きく変えた。

※右写真はゴールデンウェーブNo.1の入賞株

農林大臣賞

1966 年 (昭和41年)
この頃、海外市場への輸出も視野に海外の園芸見本市にも積極的に参加し高い評価を得た。特にこの年2月に香港で開催された国際花見本市では展示した切花すべてが完売となり海外進出の弾みになった。
また、海外の雑誌、新聞で取り上げられる機会も増え、海外の洋らん栽培業者からも注目されるようになった。
将来の洋らんへの大幅な需要の増加を見込んでメリクロン増殖の研究に取り組むのもこの頃である。当時はノビル系デンドロビュームのメリクロンは不可能とされていたのである。

※右写真はさまざまな雑誌で紹介される山本デンドロビューム園の記事

 

海外の記事

1968 年 (昭和43年)
国内においては豪華で花保ちの良い4倍体デンドロビュームは切花としてまた鉢花としての需要が年々、大きく拡大してきました。この当時はカトレアやシンビジュームが外国からの多数輸入されていたが、山本デンドロビューム園が改良した4倍体デンドロビュームはその品質の高さから既にアメリカ、ヨーロッパやオーストラリア、メキシコ、アルゼンチン、ブラジルから引き合いがあり、大量に輸出されていたのである。

※右写真は輸出用に積み上げられたデンドロビュームの苗が梱包された輸出用ケース


1969 年 (昭和44年)
世界最高権威を誇る英国王立園芸協会 (R.H.S.)の品評会にて、全世界から出品された約5000点の中から選出された入賞花5点の内の2点に入賞。日本人初の快挙であった。入賞したのはオボロヅキ`キャナリー’ と エンゼルフラワー`オカヤマ’である。
これを契機に山本デンドロビューム園の名前は一躍、国内はもとより世界中に知れ渡ることになった。

※右写真はRHS入賞の賞状を手にする山本二郎


RHS入賞

1973年 (昭和48年)
ブラジル・アルゼンチンへの講演旅行の途中に立ち寄ったハワイで、ランの立派な生育状況を目の当たりにし、ハワイ農場開設を決意。この当時、ハワイに進出する日本企業はほとんどなく、農園の立ち上げに大変な苦労があった。

国内においては山本二郎が当時、多くの研究者がなし得なかったデンドロビュームの生長点培養(メリクロン)法を長く地道な研究の末、開発に成功、実用化へ大きく前進した。

※右写真はハワイ農場の全景。広大な土地ではアメリカ本土向けの苗を中心に生産されている

ハワイ農場

1974 年 (昭和49年)
米国ハワイ州に初の海外農場「YAMAMOTO DENDROBIUMS HAWAII INC.,」設立。温暖な気候を生かし、アメリカ本土への輸出基地として生産を開始する。
洋ランの育種生産活動が評価され全国農業コンクールで農林大臣賞受賞。
日本農林漁業祭において「天皇杯」を受賞。皇居にて、昭和天皇に拝謁の栄を賜る。

※右写真は当時の皇太子殿下〔現天皇陛下)にご説明申し上げる山本二郎


皇太子殿下と

1978 年 (昭和53年)
タイ、バンコクで開催された第9回世界らん会議の大展示会にて、ユートピア‘メッセンジャー’が最高賞のFCC/WOC (ゴールドメダル)を受賞。
この当時、タイには安価な労働力や洋ラン栽培に適した気候を求めて海外の洋ラン業者が多数進出してきた頃でした。世界らん会議のために訪れたこの地で、この状況を目の当たりにした山本二郎はこれに遅れをとることなく、すぐさまタイ進出を決意。

※右写真はユートピア‘メッセンジャー’とFCC/WOCのメダル


FCC/WOC入賞

1979 年 (昭和54年)
海外での高い評価を受け、またメリクロン増殖技術の開発により種苗の大量生産が可能になるに伴い欧米諸国をはじめ、世界各国への市場進出をさらに拡大する。

※右写真は山本デンドロビューム園培養研究室の様子

培養作業

1982 年 (昭和57年)
タイ訪問から4年後、欧米向けのメリクロン苗生産の拠点としてタイ国チェンマイに第2の海外農場「YAMAMOTO DENDROBIUMS THAILAND」を設立。これによりメリクロン苗の生産コストを抑え、安価で大量にそして安定してデンドロビューム苗をヨーロッパ各地、ハワイ、北米に容易に供給できるようになった。

※右写真はタイ農場の培養施設。この奥に小苗用の広い栽培場が広がる

タイ農場

1987 年 (昭和62年)
3年に一度開催される世界らん会議(WOC)の第12回大会が東京の向ケ丘遊園展示場で開催され、その大展示会においてハワイアンキングが「リザーブ・チャンピオン」、ファンタジア ‘クラウン’がゴールドメダル受賞。同時に出展された弊園のデンドロビュームを豪華にあしらったディスプレイは国内、海外の来場者には常に人気であった。

※右写真は富士山を背景に山本デンドロビューム園のデンドロビュームをディスプレイした様子

12th世界ラン会議

1990 年 (平成2年)
名古屋国際蘭展において、ファンタジア ‘クラウン’が最高賞の「オーキッド・オブ・ザ・イヤー」を受賞。国内の洋らん展の中では沖縄国際洋蘭博覧会に次ぐ歴史と伝統ある名古屋国際蘭展のはじめての開催年に最高賞をいただきました。

※右写真は「オーキッド・オブ・ザ・イヤー」に輝いたファンタジア ‘クラウン’の入賞株

名古屋ラン展最高賞

1991年 (平成3年)
「コンベックス岡山」のオープニング記念事業として」計画された蘭展「蘭おかやま」の主催者展示を引き受ける。以後10年以上に渡って主催者展示装飾を行い、大会を成功に導き、国内でも有数の蘭展と評価は高かった。
また全国各地で開催される蘭展に積極的に参加する。
デンドロビューム育種における山本二郎の長年の功績が認められ「黄綬褒章」を拝受。皇居にて天皇陛下に拝謁の栄を賜る。

※右写真は東京ドームでの展示の様子


蘭展

1992 年 (平成4年)
園芸文化の発展向上に貢献した者に対し、その功績を永く讃えるために贈られる「園芸文化賞」を受賞。

※右写真はこの頃までに山本デンドロビューム園が受賞したメダルの数々

メダル

1993 年 (平成5年)
国内販売を強化するため岡山市長沼に栽培面積約800坪の「西大寺分場」開設。市場向けの鉢物生産を目的として生産開始。

※右写真は長沼農場の全景

西大寺農場
1996 年 (平成8年)
大阪国際蘭フェスティバルにおいてディスプレー部門で最優秀賞を受賞。

 

1998年 (平成10年)
国内販売を強化するため岡山市政津に栽培面積約1200坪の「政津分場」開設。卸販売向けの苗生産から鉢物生産までさらに生産規模が拡大された。

「オーキッドプラザ」が完成。国内のデンドロビューム生産者希望者への栽培指導のための研修施設を設ける。

※右写真は政津農場の全景

政津農場
2000年 (平成12年)
地元の小学校の情操教育の一環として、小学生にデンドロビュームの苗を無償で提供、栽培を指導し好成績を挙げる。その後継続事業となる。
 

2001年 (平成13年)
山本二郎の長年の功績が評価され「勲五等双光旭日章」を拝受。皇居にて天皇陛下に拝謁の栄を賜る。

※右写真は「勲五等双光旭日章」勲章と賞状

勲五等双光旭日章
   
 

2009年 (平成21年)
山本デンドロビューム園において現在までに交配した数は既に4000組を超え、作出された新品種の多くが世界中の園芸ファンを魅了している。
すべてのランの品種が正式に登録される英国王室園芸協会(RHS)のサンダーズリストには600品種を超えるJ.Yamamoto(山本二郎)の名が記されており、100年以上にわたるノビルタイプデンドロビュームの育種改良の歴史の後半は山本デンドロビューム園と山本二郎によって築かれて来たといっても過言ではなく、これは世界に誇れる偉大な業績である。

 

サンダーズリスト